ありきたりな恋の結末 見事な日本庭園に面した廊下を響也を追いながら、法介は奥に進む。 煌びやかな内装はさることながら、時折擦れ違う客の面子も、一般庶民ではない。本当に人形のように美しい女に寄り添われて部屋へと上がる客を法介はつい、目で追ってしまう。 …あれは、陸軍の、いやあっちは財閥の…。 記憶にある肖像写真と照らし合わせて二度驚いたりしていれば、いつの間にか前を歩いていた響也の姿が消えていた。 「え、あれ?」 「お前はこっちだ。」 大庵に顎でしゃくられ、法介は渋々その後を追う。とにかく、田舎育ちの貧乏人にとって刺激のありすぎる場所。ついつい注意力が散漫になっていたらしい。 側に寄っていたオバちゃんにいきなり声を掛けられ、心臓が止まりそうになる。 「なんだね、アンタは。来るところをお間違えじゃないのかね。」 仁王立ちの遣手婆は、廊下に立ちはだかり法介を通せんぼする。捲し立てられる台詞を聞いていれば、ココの客に自分は相応しくないと告げていた。 …わかってるよ、んなことは。一生かかったってこんな場所で遊ぶ金なんかたまらねぇよ!!! 思わず前髪の鶏冠が立ちそうになるものの、オバちゃんの勢いは凄まじく法介はジリジリと後退を余儀なくされた。 「おい、そいつはいいんだ。」 なかなか姿を見せない法介を捜しに戻った大庵が声を掛ける。 「若旦那!こんなチンクシャ、店の品位が落ちますよ!」 怒鳴り声に、大庵も肩を竦めるのが見えた。彼もそのオバちゃんは苦手らしく、法介の襟首をひっつかみ、早々に場を後にする。 「鈍くさい真似してんじゃねぇよ。」 面倒くさそうな呟きを残して、大庵は廊下の先にある奥座敷に法介を放り込み、ピシャリと襖を閉じる。 「え、あの?ちょ…。」 何がなんだか、もうさっぱりで法介は大きな溜息を吐いて座り込む。しかし、周囲を見回すと思わず正座になってしまった。 見事な彫刻が設えられた欄間がぐるりと部屋を囲み、床の間には名のある壺やら掛け軸やらが置かれていた。その前に屏風が立てられ、向かい側には襖があり奥にも部屋があるらしかった。 総漆塗りの御膳がひとつ部屋の中心に置かれ、酒と肴が整っている。朱色の盃の縁取りは金。なんとも贅沢な部屋に違いない。 期待と不安が法介の胸に広がる。 此処は吉原だ。こうして部屋に通されているからには、此処に女が来るということか? 先程擦れ違った美しい女達が法介に微笑みかけ、ゴクリと唾を飲んだ。成り行きとはいえ、そういう展開が当然ではないかと考えれば、心臓が高鳴る。 あれだけの百戦錬磨の美女に対して、有る程度の自信はあるのが法介の妙な強さだがそうは言っても若輩もの、緊張しない訳もない。期待と不安と興奮が入り混じった、奇妙に鼻息だけが響く部屋に、番頭新造の様子を伺う声が聞こえた。 とにかく法介の緊張は最高潮に達していて、返事の台詞が頭に登らない。声が高めて震えている事にだけ、格好の悪さを感じた。 スッと開いた襖から絢爛豪華な着物の裾が入ってくる。 下から上にガクンと頭を動かせば、伊達兵庫を結いこれまた豪華に簪を乗せた美しい女が入ってくるのが見えた。 女郎には珍しい薄化粧にもかかわらず、その美貌は際だっている。すっと引かれた紅が白い肌に映える。傾国の美女とは、こういう女をいうのだろうかと夢見心地の法介が見つめていれば、その口元はシニカルに吊り上がる。 「なんて顔してるんだい、オデコくん。」 驚きに目を見開く法介に、そんな言葉が降って来た。 ◆ ◆ ◆ 「さっきのオデコくんの顔ったらさ、」 「それは傑作だったな、」 何度同じ言葉を繰り返せば気が済むんだろうか、このふたり。法介は冷ややかな視線を送りながら、酔っぱらいを眺める。 男三人(見た目は男ふたりと花魁ひとりだ)で酒盛りを始めてどれほど時間がたっただろう。響也は、その美しい打掛を霰もなく晒して立て膝をしていたし、大庵は胡座をかきながらゆらゆらと上半身を傾けている。響也の結い上げた髪から零れ落ちる後れ毛を、大庵の指先が弄る様子は法介の心を酷くささくれださせた。 酔いに浮かれた熱い瞳を向ける大庵に軽蔑に近い気持ちが沸く。 勿論、昔馴染みらしい二人の会話に入れないなんていう事実が心を荒ませているなんて事はないはずだ。 たかだか、その程度の酒で酔うなんて。 フンと鼻を鳴らした法介は、手酌で注いだ銚子にもう酒が無い事に気づき舌打ちをした。御膳の周りに転がるお銚子は大庵や響也のものよりも遥に多かったけれど、ふたりの様子を見ていると、酔いが回るどころ沈着冷静になっていく自分が不可思議だ。 確かに田舎育ちの法介は酒に強い。 行儀の良い都会と違い、田舎は大人子供と区別せず祝い事の席では酒が振る舞われるし、粕漬けの類もたっぷりと酒が残った状態のものをバリバリ食べる。 所謂ひとつの英才教育を受けて来たようなものだ。自分以上の村人を山程知っている法介にとって、この程度は赤子の手を捻る程度の酒でしかない。もっとも、法介の田舎では赤子ですらこの量では酔わないだろう。だからこそ、大庵の様子が酔ったふりをして悪戯をするように見えて苛々するのかも知れない。 悶々と考え込みながら、御猪口に残った酒を口に流し込む。 括れた部分を指で挟み、左右に振るがやはりお銚子は空のようだった。 「オデコくん、強いんだねぇ。」 斜めから聞こえた声に振り向き、法介はギョッと目を剥いた。 四つん這いになった響也が躙り寄って来ると同時に法介の顔面に色気が吹き付けられる。 嘘じゃない、大きくはだけた胸元といい、着物が捲れ上がって見える太ももといい、熱いとろみを帯びた碧眼といい…。男のくせに、何でこんなに性的なんだよ! ピンと伸ばした前髪に気付かない様子の響也は、そのまま視線だけを斜めに上げる。 ほんのりと色を乗せた唇と頬に加えて、熱い流し目…。 ちょっと、待った!!!!! 酔っぱらってなどいないと思っていたが、理性のたがは良い感じに外れていたらしい。下半身にズキリと深刻な疼きを感じて、法介は慌てて場を取り繕うべく周囲を見回す。既に潰れて高鼾をかく大庵は、ムニャムニャと平和そうで、腕の中にはまだ響也がいるのだと思っている態度には、哀れみさえ感じた。 彼は響也の事を憎からず想っているのだろう。けれど、響也は…、自分を見上げる響也の目が、今度は法介を冷静にした。 「個人を特定する方法が見つかりました。」 「本当かい?」 うろんな瞳に、理性の色を戻した響也を見遣って、法介はコクリと頷いた。 思考も鮮明になったらしい彼には、少々驚いたがそれが、牙琉響也という男なのだろう。法介は躊躇う事なく説明に入る。 細かな部分は茜の受け売りだったが内容については納得した様子だった。そして、響也はふいに法介を見つめた。 ぷうと頬を膨らませるのは何事だ。 「オデコくん、綺麗だとか言ってくれないんだね?」 何を唐突に言い出すのだろうかと、胡乱な瞳を向けても響也は怯まなかった。 「この格好だよ。…僕、結構自信あったんだけどな。」 眉間に深い皺を寄せたまま、響也は法介を睨み続ける。 いや、まぁ、確かに、「綺麗、ですね。」 とってつけたような台詞にか、抑揚の無い声に対してなのか、響也はますます不機嫌そうな表情になる。ガリガリと後頭部を掻くと、法介はハァと息を吐く。 「一体何て言えば満足するんですか?」 「失敬だな、まるで僕が催促したみたいじゃないか。」 「いやいや、アンタしたでしょう。」 「そんな子供っぽい事するばずがないじゃないか、失礼だ。」 「失礼って、実際」 子供の駄々でしょう? 法介はまったくと眉を寄せて、ぐいと響也の首に腕を回して引き寄せる。 「じゃあ、大人の扱いをしていいって事ですよね?」 口端を上げて問うてやれば、当然だろうと返ってきた。当然、そうですか…。 「遠慮しませんよ?俺、酔ってませんからね。」 そう宣言した後は、響也の艶やかな色の乗った唇に自分のものを重ねる。応じてくる舌先を絡ませれば、後はそう、なし崩しという奴だった。 ◆ ◆ ◆ 賑やかに響いていた鐘や太鼓。威勢のいい声や唄は、いつの間にか闇に熔けていた。 この先一生寝る事もないだろう、ふわふわの布団の感触を楽しんでいると、すっと襖が開いた。湯浴みをしてきた響也が帰ってきたのだろう事は知れたけれど、法介は少しばかり複雑な心境だった。 寝たふりをしていようか、どうしようか。そんな迷いが浮かぶ。 響也は男と寝るのは初めてではない。 それと告げられた訳ではないが、法介だとて外見ほど子供ではない。響也の仕草、言葉の端々からそれは如実に感じる事が出来た。 だから、何なんだと思う自分もいる。己だって(男は初めてだったけれど)童貞だった訳ではない。それどころか、そこそこ自信がある程度には経験すらある。 そして、響也も良い大人であることは間違いなかった。あれだけ綺麗で、確かに子供っぽい部分も多いが魅力的な人物だ。引く手あまたで有ろう事は想像に難くない。 寧ろ、もっと手慣れていたっていいくらいだ。 そこまで考え、全てが言い訳である位法介にもわかる。 どんな理由をつけたとも、どんな事柄が真実であったとしても、心惹かれる相手を自分だけのものにしたいと願うのが人間だろう。 身体が繋がったからといって、己のものになった訳でもなかろうにと言い訳を重ねて、法介はやはり沈黙を保った。 「静か…だね。」 隣りに座ったらしい響也が囁く。 「そっち、行ってもいい?」 はい、とも、いいえ、とも出てこない返事を聞く事なく、響也は法介の布団に潜り込んできた。 触れた足先が、湯冷めのせいか少し冷たい。 さきほどの重なった肌の体温が遠くへ行ってしまったようで、法介は己が益々萎縮してしまっていくのを感じた。 「…ね。」 ゆるりと、寝物語に囁くには真摯な声がする。 ふわりと背中から抱きついてくる肢体に法介の身体はビクリと震えた。 「おでこくんにもわかっちゃと思うけど、僕、男を知っているんだ。」 法介の答えを必要としているのかいないのか、響也はまま話し続ける。 「昔ね、僕がまだ17歳の子供だった頃あの人に逢った。 法介も知ってるけど、兄貴は過保護でさ、嫌いじゃなかったけれど鬱陶しくもあって、僕は大庵のところで花魁の格好をして家出の真似事をしていたんだ。 自分で言うのもなんだけどほら、僕って綺麗だろう? 贔屓がついたりして人気が出ちゃったんだ。素性がわからなかいのもそれに拍車を掛けたんだろうね。 でも僕は遊びのつもりだったし、客と寝た事なんか無かった。大庵もそれを知っててうまくはぐらかしてくれていたからね。そうやって上手くやってたけど、騒動が起こって僕は金持ちの剥げ親父の伽をしなくちゃいけなくなったんだ。そりゃ嫌だったよ。怖かったし、嫌悪の対象にしかならない狸爺だったからね。 でも、逃げられなくてもう駄目だと思った時に、(あの人)が僕を助けてくれた。 そうして、(あの人)は僕を組み敷いたんだ。 君はどんな危険な事をしていたか、身を持って知るがいいってね。まぁ、僕は結局その人に惚れちゃって、でも、ある日ふらりといなくなったんだ。 もう7年も前の話だったけど、それから僕は遊廓には脚を踏み入れた事なんかなかった。強がってたけれど、僕は(あの人)を忘れられなかったんだと思う。 でも、法介にあって…。」 ポツリポツリと続けられる言葉はそこで途切れる。 法介は背中から抱きついていた響也へと身体の向きを替え、乗り上げる形で響也を布団に押しつける。 綺麗な金髪が布団に散り、水色の瞳が瞬く。 「…そんなの関係ないと思いますけど?」 口端を緩く引き上げ、法介は嗤う。 「アンタ、俺の事が好きでしょ?」 告げられた途端、耳の先まで真っ赤に染まる男が愛しいと思った。 「そ、そんな事を言ってる訳じゃなくて、僕は…!」 頬を紅潮させ、慌てて言い訳をまくしたてる肌が熱い。やはり、肌を重ねたのはこの男なのだと法介は思う。 「僕は何です?俺は好きですけどね。」 にやりと嗤ってやれば、絶句した顔で瞳を潤ませた。 なんだよ、可愛いよ。本当、どうしてくれようかと本気で思う。 だから、もう言葉など聞きたくなかった。 もっと欲しいとわからせる為に、法介は再び唇を重ねた。 〜To Be Continued
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